こんにちは。サチコです。
今回は、私が経験した病気の中で1番辛かった病気、くも膜下出血についてお話したいと思います。
くも膜下出血の症状について
死亡率50%の恐ろしい病
私がくも膜下出血になったのは、32歳の時でした。
まさか自分がこの若さで死に直面する病気になるとは全く思っていませんでした。
半分が死に至る恐ろしい病です。
よく、頭を鈍器で殴られたような激しい痛みと言いますが、私の場合はごく少量の出血だったため少し様子が違いました。
ただ、恐ろしいのはごく少量の出血でさえこれほど痛みがあるという事を知っていただきたいです。
症状① 突然の頭の違和感・嘔吐
私がくも膜下出血になった時、それは職場で普通にデスクワークをしていた時でした。
来客が来て、上司が私を呼び立ち上がったその瞬間でした。
鈍器で殴られたような痛みはありませんでしたが、嫌な頭の痛みと違和感が私を襲いました。
それでも歩けたし話ができたので私は来客の方と話を10分ほどしました。
この10分を今でも忘れません。
座って話を聞いただけなのですが、とにかくどんどん気分が悪くなっていき意識が飛びそうでした。
頭の痛みよりも、とにかく気分が悪いのです。
そして来客が終わった後、トイレでと嘔吐しました。これが最初の嘔吐です。
しかし気分はよくならず、早退しなんとか家に帰りましたが、どんどん頭痛もひどくなり何回か嘔吐しました。
その時、これはただならぬ病気なのではないかと思いました。

明らかに、今までとは違った頭痛と気持ちの悪さでした。吐いても吐いても気分がよくならなかったです。
症状② 首が前に曲がらない
1番おかしいと思った症状、それは首が前に曲がらないという事でした。
- 肩から首、頭にかけてが硬直しているような感じ。
- 動かすと痛みが感じから動かせないのではなく、動かない。曲がらない。
後々、脳神経外科の先生によると、頭から出血すると髄液に血液が混じるらしく、その拒否反応のようなもので硬直するそうです。
症状③ 微熱
そして出血から約5時間ほどたつと発熱し始め、これはおかしい、そんな1日2日で治るような病気ではない気がすると思い始めました。
そして、主人と夜間救急に行くことにしました。
そして私が非常にラッキーだったこと。受け入れてくれた病院の当直に大学病院から脳神経外科の専門の先生がたまたま来ていたという事でした。
最初内科の当直医の方に診察してもらいましたが、特に何の異常もなく帰されそうになりましたが、頭痛があることを訴えると、それなら今日は脳神経外科の先生がいるからと受診してもらえる事になったのです。
この先生がいなかったら・・と考えると今でも怖いです。
1回目の出血で助かってもその後の出血で死に至る場合も少なくありません。
もしあの時、内科の診察だけで家に帰っていたら、私は今ここにいないかもしれません。
MRIにてくも膜下出血と診断
私はその時なんとか歩けていて意識もしっかりしていたので、先生も念のためという事でCTだけとったのですが、そこで出血が確認されました。
「すみませんが、もう少し詳しい検査させてもらえますか?」
その言葉を言われた時、あぁただならぬ病気なのだなと分かりました。
あまり病気の知識がなかった私は、思わず先生に「腫瘍ですか?」と聞きました。
先生は冷静に、



いえ、腫瘍ではありませんが、脳から出血が見られます。いわゆる、くも膜下出血です。より詳しい検査をしたいのでMRIをさせて頂きます。再出血の恐れがあるので、もう動かないでください。トイレにもいけませんのでバルーン(小便をためる管)を入れますね。
と言われました。腫瘍ではなかった事はほっとしましたが、くも膜下出血と聞いて少しパニックになったのを覚えています。



くも膜下出血ってすごく怖い病気じゃないの?私まだ生きてるし、話せるし歩けるのになぜ?
そうしてMRIを撮影し、出血が確認され即入院となりました。
再出血の恐れがあるため人生初のICUに連れていかれ、動くことも許されずベット上の生活がしばらく続きます。
この病気を通じて考えさせられた事
つい何時間か前まで私は普通に仕事をしていました。
今日は何を食べようかとか、家に帰ったら何をしようとか。当たり前にその未来が来ると思い何の準備もしていませんでした。
少量の出血とはいえ私に襲い掛かる頭痛や吐き気、体のつらさは今まで体験した事がないくらいきついものでした。
その辛さも加わってか、1日目の夜はあまりうまく眠れることができず、何回か嘔吐もし、知らない間に窓から朝日が差し込んできたのを覚えています。
「もしかしたら、もうこの朝日を見る事ができないかもしれない。」
今まで死を身近に感じた事は1度もありませんでしたが、生まれて初めてこう感じました。
そしていろいろな事が重なったのか過呼吸になり安定剤のようなものも点滴に入れてもらった気がします。
くも膜下出血の出血は原因が動脈瘤からの出血でない限り手術等はなく、自然に出血が吸収されるのを待つしかありません。
吸収されたのを確認するまで、約1ヵ月ほどだったと思いますが、検査の時も起き上がる事無く、ベッド上で過ごす生活でした。
バルーンを入れるのも初めてでしたし、何日もお風呂にも入れず、テレビや携帯も頭痛がするので見れず、ただただベッドで寝るだけの生活は本当に苦痛でしかありませんでした。
硬膜動静脈婁・前兆
私がなぜくも膜下出血になったかと言うと、「硬膜動静脈婁」という病気が原因でした。



なんだか血管の中でいろんな事が起きてる病気なんだね。



そうだね。私の血管は1個おかしくなっちゃって、大きな波の血液がいきなり静脈へきて、脳に逆流しちゃったんだね。でもラッキーな事もあったんだよ。



え?そうなの?何がラッキーだったの?



そのおかしい血管がくも膜に少しだけしか入っていなかったという事と、細かったという事だよ。だから、少量の出血で済んだんだって。



まさに不幸中の幸いだね!これ以上出血してたらサチコさん意識なかったかもね。



うん。きっと後遺症もひどかったと思う。神様に感謝だね。
この硬膜動静脈婁という病気は日本では年間300人ほどしか発症しない非常に珍しい病気だそうです。しかも、先天性の人が多い中で私はおそらく後天的に発症したものだろうと言われました。そして、硬膜動静脈婁であっても出血する可能性は低い血管だったという事でした。
こんな珍しい病気になぜ私が・・。と思いましたが、思い当たるふしが何個かありました。
前兆① 耳鳴り
くも膜下出血になる1年くらい前から、自分の血流の音が24時間聞こえるという耳鳴りがありました。
心音に合わせて「ザッザッザッ」と血流の音が聞こえる感じ。
この症状は「硬膜動静脈婁」という病気に特有の病気です。
ただ、私もこの気持ち悪い耳鳴りを治療したかったので、ネットで調べ「この病気かもしれない。」と思い、すぐさま脳外科のある病院に行きMRIを撮る事にしました。
しかし、その時の検査では発見されなかったのです。
なぜかはわかりませんが、異常なし言われるともう対処法がありませんでした。
そして、耳鼻科に行っても原因がわからず1年くらいこの耳鳴りに耐えていました。
思えばこれが前兆だったと思います。
前兆 ② ピルとタバコ
そして思い当たるふし2つ目は、ピルを飲んでいたという事です。
このピルは血栓症のリスクがあります。血栓症というのは血の塊ができる事です。
硬膜動静脈婁とは違いますが血管の病気には変わりはないのでピルも何かしらのきっかけとなったのかもしれません。
そして、このピルの血栓症のリスクを高めるのがタバコです。
しかし、ちょうどピルを飲み始めた頃、ストレスを強く感じる事があり、タバコを吸った事がありました。
血栓症のリスクはわかっていましたが、ストレスをためるほうが体に悪いと思いタバコを吸ってしまいました。
しかしある時、タバコの煙を吸った時、頭にピリピリと電気が走るような痛みを感じたのです。
それは耳鳴りのする左耳の方で血流の動きにそって走っている感じがしました。
そこから怖くなりもうタバコを吸う事はやめていました。
先生にこのことを話しましたが、それがはっきりとした原因とは断定できないとは言われましたが、いろんな要因が合わさってできたものだろうということでした。
前兆③ 極度の疲労
そして、思い当たるふし3つ目は極度の疲労です。
当時の私は、いろんなことに無理をしていました。仕事もハードな上に、プライベートも休むことなく予定を入れていました。
倒れた日、今日は仕事休もうかと悩んだのを覚えています。
30代という若さでしたが、それでも異常な肩こりと痛みにいつも体がだるかったです。
無理をしすぎた体はついに悲鳴をあげたのだと倒れた時思いました。
そして大手術へ
1ヵ月ほどで出血は脳内に吸収され、私は普通の生活をできるようになりました。特にこの時は後遺症もなく予後も良好でした。
ただ何回かの検査で、やはり1度出血している血管をそのままにしておくわけにはいかないという話になり、この血管を止める手術をする事となりました。
方法は2つ、血管造影の検査のようにメスを入れず、狙った血管をアロンアルフアで止めてしまうという方法か、首の所を縦に切り血管を治療するという方法。
私の場合、場所が難しいところにあり、切るしかないだろうという選択でした。
そして、くも膜下出血から約2ヶ月ほどたった時、手術をすることになりました。
2週間ほど一時的に退院し家に帰る事が出来ましたが、その時は安静が条件でした。
そして再度入院して手術。
初めは3時間ほどで終わると聞いていましたが、実際は夕方の4時くらいから始まり、終わったのが夜中の1時くらいになる大手術でした。
目が覚めた時、大学病院でしたのでずらりと先生が並んでいました。
目覚めた時、左半身が異常にしびれていること、感覚が所々鈍いような気がして、「あぁ手術はうまくいかなかったんだな」と思いました。
しかし、先生は「無事終わりましたからね。」と私に言いました。血管は止められたのかととりあえずホッとし、そのまま私はまた眠ってしまったのを覚えています。
手術は無事終わりましたが、その後、回復するまでがくも膜下出血の時よりも地獄でした。
私はICUに1週間ほどいましたが、とにかく毎日嘔吐していました。頭の手術というのはこんなにも辛いものなのか。私のほかに何人か脳外科の手術終わりにICUにいた人がいましたが、全員嘔吐していたように思えます。
ほとんどこのころの記憶がありませんが、とにかく切った所は痛くてあまり動けませんし、嘔吐はするし、手術前よりひどくなっている感じがしました。
ようやく一般病棟にうつって、先生に色々な話を聞くと、思ったよりも違う場所にあったという事。左の頭のあたりの神経を触らないとどうしても血管をふさぐ事はできなかったという事。手術中に、小さい脳梗塞があったという事。そして、今私の体は、左半身の神経を少し触っているので後遺症としてしびれや感覚障害が残っているという事でした。
手術すれば帰れると思っていましたが、結局リハビリをすることとなり、その後3か月リハビリテーション病院に行くことになりました。



手術って何が起こるかわからない。本当に怖いです。
手術の痛みや嘔吐がなくなり、ようやく動けるようになるまで1ヵ月ほどかかった気がします。
当時はしびれや感覚障害がひどく、歩くことも最初はできませんでした。
しかし、リハビリを重ね、今ではほとんど手術前と変わらないまで回復しました。
ただ、やはり左足の先や手の先、左の頭のてっぺん辺りは、しびれや感覚障害が残っています。100メートル走れと言われるときっと無理だと思います。走ると左足の感覚がなくなっていくからです。
後遺症は残りましたが、無事に硬膜動静脈婁を治療し、脳出血の心配もなくなりました。
手術直後やリハビリ中は辛くて精神的に鬱状態の時もありました。眠剤をもらったり心を落ち着ける薬をもらったりしていました。
今まで出来ていたことが出来なくなるという初めての事に順応できなかったのだと思います。
その後の生活
現在は、1年に1回MRIの検査のみ受けています。
くも膜下出血になってから何回も血管造影の検査をしたのですが、この検査は本当につらい・・。胃カメラよりもつらい・・。退院した後は、血管造影の検査をしなければいけないのかなぁと思っていましたが、予後がとても良好でしたので造影剤を使うMRIの検査のみでよいと言われたので本当にほっとしました。



今のところ再発もなく元気に過ごせています。
ただやはり後遺症はあります。しびれや感覚障害もありますが、それ以上にやっかいなのが定期的に襲ってくる頭痛です。
肩こりや疲れがたまっている時など左の首から顔、こめかみの所がズキズキ痛みます。
ひどいときは嘔吐したり、寝込むこともあります。
しかしMRIでは正常なので、後遺症なのだと思います。
先生に言わせると、頭痛がひどい時ほど動いたほうが良いとのことなのですが、なかなか・・。血流をよくしないと頭痛は起こりやすいそうです。
しっかり体調管理して予防していくしかなさそうです。
あと、耳鳴りは手術後も治らないままでした。相変わらず血流の音が聞こえます。
硬膜動静脈婁を治療出来たら耳鳴りもなくなるのではないかと言われていたのですが、治っていなくて本当にがっかりしました。
その後耳鼻科でCTを撮ってもらったりしましたが、結局原因不明のままでした。
手術前よりは、少しマシになったようにも思いますが、ただ私がこの耳鳴りに慣れてしまっただけかもとも思います。
この耳鳴りとは一生付き合っていくみたいです。
先生は、もうこんなに入院することは一生のうちでないと思うよ。と笑っていってくれますが、人生突然何があるかわからないので、1日1日を大事に生きていこうと思っています。
再発をしないように、今は無理なく仕事や育児を続けています。